離れますっとかの宣言
最近はいろいろ連絡を取る手段というか情報を伝え合う手段ができたんだけど、1つ疑問な点がある。
「しばらく離れます」とかいうやつ。
確かに会社とかだと電話の対応や調整とかで、今どこにいるかとかすぐに連絡がつくことが大切なのはわかるんだけど、プライベートでもそうなのかなっと。
「離れている」ってことを知らせないと反応がなかったときに、何かこっちのメッセージが悪かったのかなっとかイロイロ考えることもあるかもしれないからっということで「離れます」っと言うんだと思うけど、そんなに考えるモノなんかな。
「離れます」ってのを知らせるのって自分から窮屈にしているような気がする。「離れます」っと言うってことは「離れていない」ときは期待した対応をしますっと自分に言い聞かせてるみたいに感じてしまう。
その状況が好きな人もいると思うけど、僕は好きではないなー。
っと嫁に話したら、「だからアナタは友達がいない」っと言われた。。。そうだね。少し窮屈なほうが人生は楽しいのかも知れない。僕は窮屈になると逃げ出してしまうからなー。
ちょっと前、嫁がケータイを忘れたこと僕が知らなかったために、お店で嫁と合流するのが大変だった。
嫁はお店に迷子のお知らせ(僕は長男といっしょだったので長男の呼び出しをしてたらしい。嫁なりの配慮)を流してもらってたらしいけど、それに僕は気づかず。まさか自分が迷子扱いになってるなんて思ってなかったから。ケータイで連絡つくっと思ってるから。
なぜかこのことを思い出してしまった。