相手を非難したくなるとき

ちょっと電車がくるまで時間があったので、なるべく通る人の邪魔にならないように立ち読みをしてた。

「ちょっと電車がくるまで時間があった」とか「なるべく通る人の邪魔にならない」とか思った(書いてる)時点で、自分の中で立ち読みはあんまり良いことじゃないなーっていう気持ちがあって言い訳をしてるんだと思う。

で、50歳ぐらいの人がかるくぶつかってきた。邪魔だったかなーっと思ったのでよけたんだけど、その後目的の本をとって、小さい声で「邪魔なんだよ、、、」(ブツブツと他にもなんか言ってたけど聞き取れなかった。。。)って言った。

なんか腹がたった。だいたいぶつからなくても目的の本はとれたと思うし、小さい声でブツブツ言わなくても良いじゃんって感じで腹がたった。しかもその後、その人だって通路の真ん中で立ち話してたので、お前だって邪魔じゃんって思った。

普段はそこまで腹をたてないんだけど、今回はやけに腹がたった。いやな目にあったなーと本当に思った。仕返しをしてやりたい気分になった(しないけど)。

電車に乗ってるときに、普段はそこまで思わないのに、なぜ今回はこんなに腹がたったかを考えたら、簡単な理由だということに気づいた。

自分が悪いと感じてる行動をとってるときだったから。

ただそれだけ。自覚してるので逃げ道がないという感じかな。普段は「邪魔」って言われても「お前もなー」とか「確かに邪魔だったかも」って思うだけなんだけど、今回は自分から邪魔になるかもって思ってるときに「邪魔」って言われたので、「だったかも」じゃなくて「邪魔」なんだよって自分で理解しないといけない。できれば、自分を悪く思いたくないので、「だったかも」って思いたいんだけど、そうは思えない。でも自分が悪いって思いたくないので相手が悪いと思うように努力をしだす。相手に腹を立てて、邪魔っていうことから逃げようとしてる。そんな感じじゃないかな。

自分が悪い(悪いというよりこころ残りがあるとう感じなか)という出来事がおきたとき、その悪さ(?こころ残りかな?)が大きければ大きいほど、相手を非難してしまう気がする。

そう思うと、なんらかの事故での訴訟というのは、そういう気持ちのものも少しはあるかはしれないと思った。自分を責めるというか後悔がおおきすぎて、結果相手を責めずにはいられないというか。自分は悪くないと思いたいというか。

今回の件で得た教訓は、自分が悪いと感じてる行動はなるべくとらないようにすることと、「邪魔」とか怒りの言葉を伝えるのではなく、その前の感情を相手に伝えるようにすること(今回なら「本をとりたいのでどいてください」かな。そうすれば、自分は腹をたてなかったと思うし)ってことかな。

今回の教訓をいかして、クレヨンで壁に絵を書いた子供にどういう言葉をかけるかを考え中なんだけど、「ダメ」は良くないし、「書くな」「消して」も良くないし、、、どうやって自分の感情を伝えようかな。。。いつもなら「母さんが怒るよ」って言うんだけど。